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宮崎地方裁判所 平成2年(ワ)198号 判決 1993年2月26日

原告

福森清秀

右訴訟代理人弁護士

辰巳孝雄

被告

小林市

右代表者市長

森祐一郎

右訴訟代理人弁護士

殿所哲

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一(主位的)

被告は、原告に対し、四〇一万六五〇〇円及びこれに対する昭和六〇年四月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二(予備的)

被告は、原告に対し、三一四万一一一三円及びこれに対する昭和五八年四月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要等

本件は、原告が、被告との間で、被告において実施していた小林駅前東部小集落地区改良事業(以下「本件事業」という。)の対象区域内にあった原告所有の別紙物件目録記載の土地及び建物(以下「本件土地及び建物」という。)の売買契約及び除却契約(以下「本件各契約」という。)を締結したのは、本件各契約締結にあたり被告の担当者から受けた本件各契約の結果取得する不動産譲渡所得については租税特別措置法三三条の四により三〇〇〇万円の特別控除が受けられるという誤った説明を信用したためであって、右説明がなければ本件各契約を締結することはなかった旨主張し、主位的請求として、本件各契約締結の結果現実に課せられた租税等が被った損害であるとして、民法七一五条のの不法行為または国家賠償法一条に基づき、前掲第一の一記載の金員を請求し、予備的請求として、本件各契約には要素の錯誤があり無効であるとして、民法七〇三条の不当利得返還請求権に基づき、同第一の二記載の金員を請求した事案である。

一争いのない事実等

1  被告は、昭和四三年五月二〇日、本件土地及び建物が存在する永田町地区を含めた小林駅北地区について、都市計画法に基づく土地区画整理事業を実施することを決定していたが、永田町地区の地権者は、前記事業の実施により、自己の所有地の面積が減歩になるということ等の理由で当該事業の実施に同意しなかった(<書証番号略>、証人児玉厚夫)。

そこで、被告は、永田町地区を除外して前記事業を実施することとし、昭和五二年一月二二日、同地区を除いた前記の事業の実施につき、宮崎県知事から土地区画整理法五二条一項に基づき認可を得た(<書証番号略>)。

ところが、前記事業が進むのにつれ、永田町地区の住民からも、何らかの事業を実施して欲しいとの要望が出てきたが、しかし、永田町地区について改めて前記事業を実施するとなると、その実施に長期間を要するので、被告は、永田町地区については区画整理事業の対象区域から除外し、新たな地域改善対策特別措置法に基づく小集落事業である本件事業及び都市計画法に基づく街路事業を併せて実施することとした(<書証番号略>、証人児玉厚夫)。

本件土地及び建物は、本件事業の対象区域内に存在していたが、被告が昭和五四年度に地方改善施設(同和対策事業施設地区道路)整備事業(上町一号)を行った際、原告が右事業に協力しなかったので、当初は本件事業の対象となっていなかった。その後、本件土地及び建物の地区の区長から被告に対し原告も協力するから交渉してはどうかという申入れがあり、被告において原告と交渉した結果原告も本件事業に協力する旨の回答を得たので、被告は、建設大臣に対し、昭和五八年一月二四日、本件土地及び建物が本件事業の対象となるように事業計画の変更承認申請をし、建設大臣は、同年二月一八日、右事業計画の変更を承認し、本件土地及び建物は、本件事業の対象となった(<書証番号略>、証人児玉厚夫、原告本人、弁論の全趣旨)。

2  原告は、被告との間で、同年二月二八日、本件土地及び建物のうち、別紙物件目録記載一ないし三の各土地を代金三二〇四万七二八〇円で売り渡す旨の売買契約を締結し、また、本件土地及び建物のうち、同目録記載四の建物を、原告が右建物を同年三月三一日までに被告が行う事業に支障がないように除去することとし、被告は、原告に対し、右除去に対する除却補償金として二二二万六〇〇〇円を本件建物の除却完了後に支払う旨の建物等の補償及び除却契約を締結した。さらに、原告は、被告と、同月五日、本件土地及び建物のうち、同目録記載五ないし七の各土地の三分の一の共有持分権を代金四四八万〇七〇七円で売り渡す旨の売買契約を締結した(昭和五八年二月二八日付けの売買契約及び建物の補償及び除却契約並びに同年三月五日付けの売買契約をあわせたものが本件各契約である。)。

原告は、被告から、本件各契約の代金及び補償金として、同日、三二〇四万七二八〇円、同月一四日、四四八万〇七〇七円、同年四月六日、二二二万六〇〇〇円をそれぞれ受領した。また、本件土地及び建物のうち、別紙物件目録記載四の建物の除却は、同年三月三〇日、完了した(<書証番号略>)。

3  原告の妻福森フヂ(以下「フヂ」という。)は、小林税務署長に対し、原告の昭和五八年度(以下「本件年度」という。)の所得税につき、三〇〇〇万円の控除が受けられることを前提に、被告から交付を受けた公共事業用資産の買取り等の申出証明書等を添付して申告しようとしたところ、小林税務署長の係官は、本件事業は街路事業ではなく、地域改善対策特別措置法一条に規定する地域改善対策事業(小集落地区改良事業)であるから、租税特別措置法三三条の四(収用換地等の場合の所得の特別控除)による三〇〇〇万円の控除を認めない旨説明した。そして、右係官は、原告の申告について、本件各契約における土地の譲渡に対し、租税特別措置法三四条の二(特定住宅地造成事業等のために土地等を譲渡した場合の譲渡所得の特別控除)を適用し、一五〇〇万円の特別控除を、また、本件各契約における建物の除却補償金に対し、同法三一条(長期譲渡所得の課税の特例)を適用し、一〇〇万円の特別控除をそれぞれ認めた。そこで、原告は、本件各契約の代金及び補償金の合計額三八七五万三九八七円(なお、確定申告にあたっては、前記証明書等のうちの不動産等の譲受けの対価の支払調書により、昭和五八年三月五日付けの売買契約の代金を四四八万〇七〇六円として計算したため、確定申告の際の前記合計額は三八七五万三九八六円となっている。)のうち、工作物移転補償金二四万七〇〇〇円及び動産移転補償金四五万円を除いた三八〇五万六九八六円を長期譲渡収入とし、右長期譲渡収入から、必要経費三二六万七〇四九円を差し引き、それからさらに、前記一六〇〇万円の特別控除分を引いた一八七八万九九三七円を長期譲渡所得として、また、本件年度の申告納税額を三二三万二六〇〇円として申告した。(<書証番号略>、証人児玉厚夫、同福森フヂ(第一回、第二回))。

原告は、右申告に基づき譲渡所得税三二三万二六〇〇円及び右譲渡所得税のうち、二六〇万三二〇〇円に対する昭和五九年三月一六日以降同年四月二五日までの延滞税二万六五〇〇円を納付し、また、県民税三二万四八六〇円、市民税六四万九七二〇円、国民健康保険税三五万円を納付した。(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

なお、原告は一六〇〇万円しか控除を受けられなかったことについて、税務署長に対し、異議の申立てをせず、また、税理士に相談することもなかった(<原告本人>)。

二当事者の主張

1  主位的請求

(一) 原告は、本件各契約を締結するにあたり、被告の職員である児玉厚夫(以下「児玉」という。)から、本件事業は、都市計画法五九条一項に該当するので、本件各契約の代金及び補償金のうち三〇〇〇万円は租税特別措置法三三条の四により控除されるとの説明を受けた。原告は、その説明を信用して、被告との間で、本件各契約を締結し、税務署長に対する確定申告の際にも、被告から特別控除のための公共事業用資産の買取り等の申出証明書等の交付を受け、右証明書等を添付して、特別控除の額である三〇〇〇万円を差し引いて、小林税務署長に対し、確定申告をした。しかし原告は、同法三四条の二及び同法三一条の適用による一六〇〇万円しか特別控除が受けられなかったため、同法三三条の四が適用された場合より、譲渡所得税、市県民税等の合計三六六万六五〇〇円が多額に賦課されることとなった。

被告は、本件事業の施行者であり、児玉は、当該事業を担当した被告の職員であるところ、右事業を担当する職員として、原告が本件事業のために本件土地及び建物の所有権を被告に譲渡した場合、その譲渡がいわゆる収用対象事業のための譲渡として同法三三条の四の規定に該当するか否かについて十分調査確認したうえ、正確な説明指導を行うべき注意義務があるにもかかわらず、それを怠り、十分な調査をすることはなく誤った説明指導をなしたものである。

原告は、児玉から前記説明を受けなければ、被告との間において本件各契約を締結することもなく、したがって前記のような高額な課税がなされることもなかった。

よって原告は、被告に対し、多額に納税した前記三六六万六五〇〇円及び弁護士費用三五万円の合計四〇一万六五〇〇円の損害の賠償及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年四月一九日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する。

(二) 被告の主張

被告が原告に対し、公共事業用資産の買取り等の申出証明書等を交付したことは認め、原告のその余の主張は否認ないし争う。

被告が個人の所得税控除額について具体的な説明をした事実はないが、仮に右事実が認められるとしても、原告が本件各契約を締結したことと児玉の当該説明とは無関係であり、因果関係がない。

すなわち、当初の計画では本件事業の実施によって隣接地が埋め立てられるため、別紙物件目録記載一ないし三の土地が隣接地より約二メートル低くなり雨水が隣接地より流れ込む危険があり、また道路から出入りできる取り付け道路を設置する必要が生じるが、そうすると前記土地の有効利用面積が減少する結果となることが見込まれた。そういう事情もあって原告は、適当な代替地を探していたものであり、児玉との交渉の際にも原告らは代替地さえあれば被告の行う本件事業に協力してよい旨述べていたこと、また原告は本件各契約締結当時、譲渡資産の譲渡価額と買換え資産の取得価額が同額であれば課税されないという認識をもっていたものであるから、これらを総合すると適当な代替地を入手したことが原告の本件各契約締結の唯一の動機となっていたものである。

また原告は、代替地として、小林市大字細野一本杉二二四六番の三の土地を取得したが、右土地の居宅部分を除いた部分については石切場として使用し、その事業の用に供していたのだから、租税特別措置法三七条の事業用資産の買換えの特例の適用を受けるべく申告していれば、右事業の用に供している限りで課税の対象とならなかった。しかし、原告は土地の譲渡につき、同法三四条の二の適用により一五〇〇万円しか特別控除が認められなかったのにもかかわらず、異議申立てを行わず、小林税務署長による課税処分を確定させた。したがって、この点においても児玉の説明と本件損害とは因果関係がない。

また、そもそも、税務署の租税特別措置法の適用が適正であるかぎり、原告は本来負担すべき税を負担することとして、税法上当然納税義務を負うのであり、本件各契約による売買及び除却は、もともと同法三三条の四が適用される場合ではないから、原告には損害が存在しない。

2  予備的請求

(一) 原告の主張

原告は、本件各契約を締結するにあたり、児玉に、本件事業は、都市計画法五九条一項に該当するので、本件各契約の代金及び補償金のうち三〇〇〇万円は租税特別措置法三三条の四により控除される旨の説明を受けたため、真実は本件各契約による譲渡所得に対し同法三三条の四による特別控除の適用がないにもかかわらず、三〇〇〇万円の特別控除がなされるものと誤信して、本件各契約を締結した。原告は、本件各契約を締結するにあたり、児玉に対し、三〇〇〇万円の特別控除を受けられるのであれば、本件各契約を締結する旨述べて、右動機を表示した。原告は、同法三三条の四により三〇〇〇万円の特別控除を受けられれば、本件各契約の結果取得することになる所得に対して税金がかからないと誤信したからこそ、本件各契約を締結したものであって、右動機の錯誤は本件各契約の要素に関するものである。 したがって、本件各契約は、錯誤により無効であり、被告は、原告に対し、原状回復として本件土地及び建物を返還すべき義務があるところ、既に本件事業が施行された結果、右義務の覆行は不能であるから、原告は、被告に対し、原状回復に代わる代償請求権として本件土地及び建物の対価である三八七五万三九八七円の請求権を有する。

一方原告は、自己の不当利得について善意であるから原告が被告に対し返還すべき利得の範囲は現存利益となり、原告は、被告から本件各契約によって右金員に相当する代金及び補償金を受領しているものの、三〇〇〇万円の特別控除の適用がなく、一六〇〇万円の特別控除の適用しか受けられなかったために合計四五八万三六八〇円の租税が賦課され、右金員相当額を失った。

したがって、原告が被告に対して返還すべき現存利益は右代金及び補償金三八七五万三九八七円から租税として賦課され原告が支払った四五八万三六八〇円を差し引き、三〇〇〇万円の特別控除の適用を受けた場合に原告が納付すべき租税一四四万二五六七円を加えた三五六一万二八七四円であるので、原告は被告に対し、三五六一万二八七四円の支払いと引き換えに三八七五万三九八七円の原状回復に代わる代償請求権を有し、両者は共に金銭債権であるから、原告は、被告に対し、不当利得返還請求として、三八七五万三九八七円から三五六一万二八七四円を差し引いた三一四万一一一三円及びこれに対する本件各契約による売買代金等の最終受領日である昭和五八年四月六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する。

(二) 被告の主張

原告の主張を否認する。

原告が本件各契約を締結した動機は、前記1(二)のとおり、代替地が取得できることにあったのであり、また、仮に本件各契約が錯誤のため無効であるとしても、原告が本件各契約により被告から受領した代金及び補償金三八七五万三九八七円は全額がそのまま原告に経済的利益として現存するのであって、公租公課は、経済的利益が現存することにより課税されるのであるから、公租公課の金額を控除した額が現存利益であるとの原告主張は理由がない。

そしてその場合には、被告は、原告に対し、本件各契約の代金及び補償金三八七五万三九八七円の返還請求権を有するので、右の各債権をもって、原告の本訴請求権とその対当額において相殺する。

第三争点

本件の争点は、主位的請求については、被告の損害賠償責任の有無であり、具体的には、(1)本件各契約の締結にあたった被告の担当者に故意過失による違法な行為があったか、(2)(1)の被告の担当者の行為と原告が本件各契約を締結したことの因果関係、すなわち、原告はどのような理由動機から本件各契約を締結するにいたったのか、(3)本件各契約締結の結果原告に対して賦課された租税は原告が被った損害ということができるかという点であり、予備的請求については、(1)原告は本件各契約締結の結果賦課される租税について租税特別措置法三三条の四による三〇〇〇万円の特別控除(以下において「特別控除」は、特に断らない限りこの規定によるものをいうこととする。)が認められると誤信したか、(2)誤信したとしてそれが要素の錯誤に該当するか否か、(3)錯誤に該当するとした場合、原告が被告に返還すべき現存利益には原告に賦課された租税相当額が含まれるか否かという点である。

第四争点等に対する判断

一本件に適用される被告の損害賠償責任の根拠

国家賠償法一条一項所定の「公権力の行使」とは、国又は公共団体の作用のうち、純然たる私的経済作用及び同法二条所定の公の営造物の設置及び管理の作用を除くすべての作用をいうと解されるところ、本件各契約は、地域改善対策特別措置法一条に規定する地域改善対策事業(小集落地区改良事業)の一環として締結されたものであって、本件事業は、住宅地区改良法(昭和三五年法律第八四号)二条一項に規定する住宅地区改良事業(既設の改良住宅の改善に関する事業を含む。)及びこれに準ずる事業であって建設大臣が定めるものであり、さらに住宅地区改良法一一条には建物の収用に関する規定が存在すること、また原告と被告との本件各契約は、被告が建設大臣に対し本件土地及び建物が本件事業の対象となるように事業計画の変更承認申請をし、建設大臣が右事業計画の変更を承認した後に締結されたことなどからすれば、当該事業の実施は、被告の純然たる私的経済作用とは認めがたく、国家賠償法一条一項所定の公権力の行使にあたると考えられる。したがって、原告の、被告の公務員としての公権力の行使を前提としない民法の不法行為に基づく損害賠償請求は主張自体失当であるから、本件においては被告の国家賠償責任の有無を検討すれば良いことになる。

二主位的請求について

1  争点(1)及び(2)についてまず検討することとする。

(一) 証人福森フヂの証言(第一、二回)及び原告本人尋問の結果によれば、被告が実施する本件事業の担当職員であった児玉が、昭和五七年一二月ころから昭和五八年一月ころにかけて数回にわたり原告及びフヂとの間において本件各契約を締結するための交渉をした際、原告らに対し、本件各契約を締結した結果賦課される譲渡所得税には三〇〇〇万円の特別控除が認められるとの説明をしたこと、原告は、その誤った説明を真実であると信じて、それが重要な動機理由となって本件各契約を締結したと認めることができる(後記のとおり、この認定を覆すに足りる証拠はない。)。

(二) 他方これに対して、まず証人新与助、同児玉厚夫は、原告らに対し、原告らが特別控除を受けられるという確定的な説明をしていない旨供述する。

しかしながら、<書証番号略>、証人福森フヂ(第一、二回)、同児玉厚夫(後記採用しない部分を除く。)、同新与助(前に同じ。)の各証言と原告本人尋問の結果によれば、原告らが小林税務署から特別控除について誤りを指摘された後すぐに被告の担当者に抗議したところ、被告担当者において小林税務署と三〇〇〇万円の特別控除について協議がなされたこと(なお証人児玉厚夫は、右協議は原告に対し事業用資産の買替え特例の適用について実施したものである旨証言するが、右証言は<書証番号略>に照らして採用することはできない。)、また<書証番号略>によれば、原告が被告を相手方として昭和五九年五月三一日小林簡易裁判所に申し立てた民事調停の第一回期日において、被告代理人は「三〇〇〇万円の控除対象は土地のみの約であった。被告は本件について賠償委員会で審査して結論をだす。」旨の回答をしていることが認められ、仮に証人児玉らの供述にあるように原告に対して特別控除の説明をしていなかったとすれば、小林税務署から指摘を受けた後の被告の対応はきわめて不可解であるといわざるをえず、したがって、これらの事実に照らして証人新与助及び同児玉厚夫の前記各供述は採用することができない。

(三) また証人新与助、同児玉厚夫は原告が本件各契約を締結した動機理由についても被告の主張に沿う供述をする。

そしてなるほど、<書証番号略>、証人福森フヂ(第一、二回)、同児玉厚夫(後記採用しない部分を除く。)、同新与助(前に同じ。)の各証言と原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件各契約が締結された当時石材商を経営しており、別紙物件目録記載一ないし三の土地上の同目録記載四の建物に機械三台を置き、同所を約一〇年間石切場として使用していたこと、当初の計画では、本件事業の実施によって隣接地が埋め立てられるため、別紙物件目録記載一ないし三の土地が隣接地より約二メートル低くなり雨水が隣接地より流れ込む危険があり、また道路から出入りできる取り付け道路を設置する必要が生じるが、そうすると前記土地の有効利用面積が減少する結果となることが見込まれたこと、原告は、児玉に対し、本件事業に協力する前提として資材運搬のために大型自動車の出入りが可能でありかつ作業に必要な水が確保できる代替地が必要である旨述べたことが認められる。しかしながら、これらの事情によって、原告の同所における事業の継続が不可能あるいは著しく困難となったということまでは認めがたく、また原告が児玉から本件事業の実施に協力するように依頼を受け、それを承諾する以前に同目録記載一ないし三の土地の代替地を探していたことを認めるに足りる証拠もない。かえって、当初から事業の対象となっていた同目録記載五ないし七の土地については原告が持分権を有していたことから、これについても原告から協力を得ないと当初の計画案の実施について著しい支障が生じることが予想され、また前記第二の一1において認定したように、被告は原告から本件事業に協力する旨の回答を得た後すぐに当初の事業計画を変更して同目録記載一ないし四の各不動産を事業の対象としていること、さらに証人児玉厚夫の証言によれば、原告らは一度本件事業に協力する旨述べた後においても再び同所に留まりたい旨述べたことがあったことが認められることからすれば、むしろ被告の方が原告らに対して本件事業に協力するよう積極的にはたらきかけて本件各契約が締結されたものと見るべきであり、この認定に抵触する証人新与助、同児玉厚夫の各供述部分は、いずれも採用することができない。

したがって以上を要するに、前記(一)で認定した事実を覆すに足りる証拠はないことに帰する。

(四) さらにまた、被告は、原告には本件各契約を締結するにあたって、譲渡資産の譲渡価額と買換え資産の取得価額が同額であれば課税されないという認識があったから、三〇〇〇万円の特別控除を受けられることと本件各契約の締結との間には因果関係がない旨主張するが、証人福森フヂの証言及び原告本人尋問の結果によっても、原告において右所得控除についての明確な知識ないしは認識があったとは認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠もない。したがって、被告の右主張も採用することができない。

2  そこで、争点(1)のうちの被告の義務違反について検討する。

個人または法人の土地、建物その他の資産が一定の要件を満たす公共事業等のために買い取られた場合には、その買い取りに係る所得に対する所得税または法人税の課税について租税特別措置法において各種の特例制度が設けられているところ、個別の取引が前記制度に該当するか否かは、当該資産の権利者の利害に大きくかかわる事がらであるから、事業を実施するものが当該事項について説明する場合には、十分な調査をした上正確な説明を実施して無用な混乱に陥れないようにすべき義務があると解される。本件において被告が実施する小集落地区改良事業と街路事業は、根拠法令等が明らかに異なっていたのであるから、被告の担当職員は、租税特別措置法について十分に調査するなどして適切な対応をすることにより、税法上の扱いが異なることについて知りうべきであったし、少なくとも本件に特別控除があると断言することは避けられたと評することができる。

したがって、前記認定事実に照らし、本件においては被告の担当職員であった児玉については前記注意義務に違反して違法に、誤った説明を原告らに対して行ったものと認めることが相当である。

3  つづいて、争点(3)について検討することとする。

一般に、不動産が譲渡され、その譲渡益に対して税法上適正な課税がされた場合において、当該譲渡益の発生が正常な取引価格から生じたものである以上は(すなわち、売主の不動産の取引価格の決定自体に違法な影響が与えられていない限りにおいては)、たとえば買主の側等において売主の右課税に関する認識を誤らせる違法な言動があって、売主が税額を過少に評価したとしても、その適正な税額の負担を、不法行為ないしは国家賠償の対象となる損害とすることはできないというべきである。

なぜなら、不動産の譲渡益に対する課税は、不動産の譲渡等があったことを契機として、それまでの資産の値上がり益という所得に着目して課せられるものであり、不動産の譲渡により現実化した所得を得た者が当然に負担すべき義務であって、これを右にいう損害と構成する余地はないからである。換言すれば、不動産の取引によって譲渡益を得た者は、それに課税される税金の多寡について認識しておらず、あるいは他からの誤った情報によりこれを誤解していたとしても、現に所得がある以上、自己の責任財産から適正な税額を当然に負担すべきなのであり、その義務の履行自体を私法上の権利侵害の結果としての損害と解することは、相当とはいえないのである。もっとも、不動産取引において、売主等が認識しえなかった課税があることにより、当該取引自体が錯誤等により無効とされることはあり、またたとえば不動産の売買契約で、売主に課税分を差し引いた後一定の手取額を確保させることを内容とする合意がなされた場合において、課税額の認識を誤らせて売主の手取額の減少を来すような行為をすれば、取引における売主の価格形成についての自由な判断を妨げるものとして、そのような行為を不法行為等として律することができることは、もとより別論である(なお以上の理は、所得税のみならず、本件で原告に課せられた住民税その他についても基本的にあてはまるものである。)。

これを本件についてみると、弁論の全趣旨によれば、原告と被告との本件各契約の締結については、原告と被告の担当者の交渉によりその売買代金等の額が決定され、その額自体に原告はとりたてて不満はないこと、したがって本件各契約における代金等の額は、正常な取引に基づき合意された適正な額の範囲に収まっているものであることが認められ、逆に、本件各契約により原告が取得する代金等の額が、原告に賦課される税額を控除したいわゆる手取額を定めたものであることを認めるに足りる証拠はない(かえって<書証番号略>、証人福森フヂの証言(第一、二回)と原告本人尋問の結果によれば、本件各契約の結果賦課される公租公課については原告が負担するものと定められていることが認められる。)。そうすると、本件において原告に課せられた税金それ自体を、被告が国家賠償責任に基づき賠償すべき対象となる損害と目することはできないことになる。

したがって、前記1及び2で認定したとおり、被告担当者の児玉が誤った説明をして、原告に対して三〇〇〇万円の特別控除が認められなかったとしても、本件において、原告に本件各契約における売買代金等の額自体の認識に誤りがなく、その結果原告に賦課された税額が税法上適正である以上は、当該税金それ自体を損害であるということはできない。

4  よって、原告の主位的請求は、その余の点について判断するまでもなく、結局理由がないことになる。

三予備的請求について

1  争点(1)ないし(3)について検討することとする。

被告の実施する本件事業の担当職員であった児玉が、昭和五七年一二月ころから昭和五八年一月ころにかけて原告及びフヂとの間において本件各契約を締結するための交渉をした際、原告らに対し、本件各契約を締結した結果賦課される譲渡所得税には三〇〇〇万円の特別控除が認められるとの誤った説明をしたこと、そして原告は、その誤った説明を真実であると信じたことが重要な動機となって、その結果本件各契約を締結したことは、既に認定したとおりである。

また、証人福森フヂの証言(第一、二回)及び原告本人尋問の結果によれば、本件においては原告の右動機は本件各契約を締結する際に児玉に対して表示されていたものと認めることができる(右認定に反する証人児玉厚夫の供述は前掲証拠に照らして採用することができず、右認定を覆すに足りる証拠はない。)。

したがって、本件各契約は原告の動機の錯誤によって無効であるということができる。

2  しかしながら、本件各契約が錯誤により無効であるとしても、原告が被告に返還すべき不当利得の現存利益の額は、本件においては本件各契約によって原告が受領した代金等の合計額三八七五万三九八七円の全額というべきであり、原告の本件年度の所得税その他の税金のうち、一六〇〇万円の特別控除の適用を受け原告が実際に納付した税額と三〇〇〇万円の特別控除の適用を受けた場合に原告が納付すべき税額との差額相当額については現存利益として残存していないということはできないといわなければならない。

なぜなら、不動産の譲渡益に対する課税は、前記二3で判示したとおり、不動産の値上がり益を精算して所得として把握し、その所得に着目して課税される税金であるが、譲渡所得の所得税についても、他の税と同様にその所得者の納税の引当になるのは、すべて納税者の一般責任財産であり、その不動産の売却代金ないしは譲渡益それ自体に限定されていることはないからである。すなわち本件についていえば、原告は、そもそも本件各契約の結果として賦課された所得税等の税金を、本件各契約によって被告から取得した売買代金等の中から支払わないとすれば、原告の他の資産から支払う義務を負担しているのであり、本件で納付した税金が本件各契約における売買代金等でまかなうことにより、その分につき原告の一般責任財産の減少を免れているといえるのであるから、これを原告の現存利益から除外することは不当であることになる。

3  ちなみに、法律行為が一旦成立し、これを前提とする課税がなされた場合において、後にその法律行為がたとえば無効であることが判明したときは、国税通則法によれば、権利変動の外形が撤去されている限り、更正の請求(二三条)により課税処分が訂正される制度が認められ、また判決等の確定によりこれらの事情が明らかになったときにも、同様に更正の請求ができることとされている(同条二項)のであり、これによれば、無効な法律行為に基づき納付された税金の納税者に対する還付が認められる余地があるのであって、この点からしても、法律行為が無効であるときに返還すべき不当利得の額の算出にあたって、納付した税金の額を現存利益から除外することが不当であることが裏付けられているといえる。

4  したがって以上によれば、本件各契約が原告の錯誤により無効であるとして、原告が被告に対し返還を求めることができる不当利得の額は、本件土地及び建物の価格相当額である三八七五万三九八七円であるが、逆に被告が原告に対し返還を求めることができる不当利得の額も、本件各契約における売買代金等の全額である右同額ということになる。そして、被告がこれにつき対当額で相殺する旨の意思表示をしていることは、本件記録上明らかであるから、原告の被告に対する不当利得返還請求権は、被告の相殺の抗弁によってすべて消滅したといわざるをえない。原告の予備的請求も、その余の点について判断するまでもなく、結局のところ理由がないこととなる。

四結論

以上の次第であって、原告の本訴請求は、主位的及び予備的のいずれについても理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官渡邊雅道 裁判官梶智紀裁判長裁判官三輪和雄は、差し支えにつき、署名捺印することができない。裁判官渡邊雅道)

別紙物件目録<省略>

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